飯奈野神社伝記と稲野宮鰐口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 21:21 UTC 版)
「飯名神社」の記事における「飯奈野神社伝記と稲野宮鰐口」の解説
文献資料に、六所神宮大宮司長戸家文書「飯奈野神社伝記」と、筑波山中腹弁慶七戻り付近で出土したという鰐口(稲野宮鰐口)の銘がある。「飯名神社由來記」には次の記述が紹介されている。 当社勧請は「康正2丙子年(1456年)11月16日飯奈野ノ地ニ宮造立有テ保食神鎮座シ給フ」。 「常陸國北条郡臼井村稲野宮鰐口檀那衆文明11年(1479年)5月25日」(稲野宮鰐口銘)。 「天正19辛卯年(1591年)正月初巳日御遷宮」。 「万治3庚子年(1660年)3月14日弁財天造立、祭神、市杵嶋姫命」。 康正2年(1456年)、「保食神(宇気母知神)」が「飯奈野」の地に「勧請」され、天正19年(1591年)に「遷宮」したことが分かる。 「当社勧請は」という記述は、保食神を主神とする飯奈野神社の創祀を意味する。これを創建と解釈すれば、『常陸国風土記』の「飯名神」としての「飯名神社(飯奈野神社)」には連続性がない。ただし、これらの資料は「北条郡臼井村」に「飯奈野」という地名が存在し、それが社名に転じたことも証している。ここから「飯名神」に関わりのある信仰の痕跡、もしくは神体山信仰からの変化と見ることもできる。 「遷宮」という記述は、社殿修理等の竣工にかかる仮殿からの遷宮のほかに、移祀(遷座)を意味する場合がある。ここから「飯奈野」と「いなをか(稲岡)」は、「野」と「岡」と呼び分けられる程度の近接地であった可能性もある。文化5年(1808年)の「常陸国筑波山縁起」の絵図には、飯名神社を示す「弁天」と「臼井村」の間に「イ子ノ」という文字が書き込まれている。 「弁財天造立」という記述は、当初市杵島姫命は本殿ではなく、別に社を立てて祀られていたことを示唆する。現在も女石の上に弁財天を祀る社殿がある。
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