食三田次とは? わかりやすく解説

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食三田次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 23:15 UTC 版)

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食 三田次(はみ の みたすき、生没年不詳)は、奈良時代貴族朝臣官位従五位下西市正

出自

古事記』に武内宿禰の子、波美八代宿禰を、波美臣の祖として伝えており[1]天武天皇13年(684年)11月に、波弥臣に朝臣の姓を賜うとある[2]

経歴

孝謙朝天平勝宝9歳(757年聖武上皇の一周忌に、同9歳(757年)5月、川原凡・益田縄手・大蔵家主・土師犬養土師弟勝上毛野真人とともに従五位下に昇叙している。以後、藤原仲麻呂政権で順調に出世したものと思われ、淳仁朝天平宝字3年(759年)7月、西市正。翌4年(760年)正月、田口大戸大原継麻呂とともに内位従五位下に叙せられている。以降の記録は存在せず、藤原仲麻呂の乱における去就も明確ではない。

官歴

続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 『古事記』孝元天皇段
  2. ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇13年11月1日条

参考文献

関連事項

  • 播美奥人…同族と思われる。



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