土師乙勝とは? わかりやすく解説

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土師乙勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/27 01:11 UTC 版)

土師 乙勝(はじ の おとかつ、生没年不詳)は、奈良時代人物宿禰。名は弟勝とも記される[1]勤広参土師甥の子[2]位階従五位下

経歴

孝謙朝天平勝宝9歳(757年聖武太上天皇の一周忌に、一族の土師犬養とともに従五位下に叙せられた[1]

膳大丘とともに、善珠の弟子であった常楼と親交を結び、仏教以外の外教に関する書物を教授した。常楼が20歳になる頃(天平宝字4年〔760年〕頃)にこの学習の成果が現れ、周囲から認められたという[3]。天平勝宝3年(759年)以前、あるいは膳大丘の入唐期間(天平勝宝4年(752年)から天平宝字5年(761年)中に常楼と交際していたとみられ、乙勝はかなりの学識を有していたと想定される[4]

官歴

続日本紀』による

脚注

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  1. ^ a b 『続日本紀』天平勝宝9歳5月20日条
  2. ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻10,土師連諸流(宝賀[1986: 1009])
  3. ^ 『日本後紀』弘仁5年10月22日条
  4. ^ 『日本古代人名辞典 5』1413頁

参考文献




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