顓頊と高句麗の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 14:52 UTC 版)
『三国史記』高句麗本紀第六や『三国史記』百済本紀第六によると、高句麗王は、中国黄帝の孫である高陽氏、中国黄帝の曾孫である高辛氏の子孫を称していた。 『逸周書』「王会解」は、古代中国の少数民族とその分布について述べたものであり、晋の孔晁による注がつけられているが、「高夷」について「高夷東北夷高句麗」と注しており、高句麗を高夷族の子孫としている。このことから中国学界は、高句麗の先祖である高夷族と高陽氏を接続させ、高夷族の起源を高陽氏に確定、「卵生神話、鳥羽冠(鳥の羽で飾られた帽子 )の風習、鬼神(英語版)思想などが共通している」として、高句麗を高陽氏の子孫と主張する。中国学界はもう一つの証拠として『晋書』「慕容雲載記」を挙げており、慕容雲の祖父である高和は高句麗族であるが、高陽氏の末裔であるため高姓を名乗り、慕容雲の本来の名前は「高雲」という記事である。中国学界は、「高陽氏→高夷族→高句麗族」と連結させ、高句麗の祖先は高夷族であり、さらに遡ると高陽氏とみている。
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