青木理 (三重県知事)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/01 07:34 UTC 版)
青木理 あおき まさる | |
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生年月日 | 1902年8月9日 |
没年月日 | 1967年1月25日(64歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科(現東京大学法学部) |
前職 | 日本蚕糸近畿中国支社長 |
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当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1947年4月16日 - 1955年3月18日 |
青木 理(あおき まさる、1902年〈明治35年〉8月9日[1][2] - 1967年〈昭和42年〉1月25日[1])は、大正末から昭和期の実業家、政治家。初代三重県公選知事(2期)。
経歴
三重県一志郡久居町西鷹跡町(久居市を経て現津市)で生まれた[2]。1923年(大正12年)東京帝国大学法学部を卒業[1][2]。理研特殊鋼総務部長、日本兵器車両取締役などを経て[2]、1942年(昭和17年)拓務大臣・井野碩哉秘書官となる[1][2]。翌年実業界に戻り、日本蚕糸近畿中国支社長などを歴任した[1][2]。
戦後の1947年(昭和22年)の第1回三重県知事選挙に立候補して当選し初代公選知事となった[1][2]。1951年(昭和26年)にも再選[2]。同年11月には昭和天皇の三重県巡行があり、随行役を務めた(昭和天皇の戦後巡幸)[3]。
1955年(昭和30年)の知事選では自由党と日本民主党の支援を受けたが、左右社会党の支援を受けた農林省課長の田中覚に敗れた。
1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙で三重1区から自由民主党公認で立候補したが落選した[4]。1967年没。
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』編集・発行 - 日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
公職 | ||
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先代 新設 |
![]() 公選初代 - 第2代:1947年 - 1955年 |
次代 田中覚 |
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