霊魂(精神の永遠性、小我)の否定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:44 UTC 版)
「禅」の記事における「霊魂(精神の永遠性、小我)の否定」の解説
禅宗(特には臨済宗)では肉体と精神とは同一のものと考え、区別をしない。肉体があるから精神もありうるのであり、精神があるというならばそこには発生原因として肉体がなければならない。そのような意味で、肉体がそのまま精神であり、精神は肉体である。もし死体を見て、肉体は滅んだが精神はどこかへ移動して不滅のまま残っていると考えるならば、これは大乗仏教ではない。霊魂の存在を認めると生と死に関する深い執着が発生するため、仏道成就を阻害するとされる。 禅宗では、心というものは刻一刻と変化しており、これこそ我が心であるといえるような一定の形態を持たないと考える。したがってこの心は実は幻の心である。この点では肉体についても同様のことが言え、肉体だと思っているものは実は物質が縁によって和合して仮に人間のすがたが現れたものにすぎず、縁が滅ぶ時には元通りバラバラになるためまったく実体がない。したがって心身はもとより一つの幻である。幻だから、生きたり死んだりするものではない。生きたり死んだりしないから、常住不滅である。 もし悟った禅僧が、心身は一如であり肉体も精神も不滅であるというならば、これは仏性を直指した奥の深い説法であるといえる(無常喝: 諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽)。
※この「霊魂(精神の永遠性、小我)の否定」の解説は、「禅」の解説の一部です。
「霊魂(精神の永遠性、小我)の否定」を含む「禅」の記事については、「禅」の概要を参照ください。
- 霊魂の否定のページへのリンク