阿部市太郎 (3代)とは? わかりやすく解説

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阿部市太郎 (3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/23 21:27 UTC 版)

3代 阿部 市太郎(あべ いちたろう、天保11年(1840年) - 大正12年(1923年))は、明治維新期の近江商人実業家。日本の産業人材の育成に務めた。

生涯

3代目阿部市太郎は、天保11年(1840年)に近江国神崎郡能登川村(現・滋賀県東近江市能登川町)に生まれた。父である2代市太郎は本家に当たる阿部市郎兵衛家第5代当主の次子で、初代市太郎に継子なく養子となった。また、兄は本家の養子となり7代目市郎兵衛となり、弟は市三郎家に養子に入り2代目市三郎となった[1][2]

3代目家督相続後、明治4年(1871年)本家市郎兵衛家と共に大阪(現大阪市東区)に支店を出し、家業である麻布販売と共に持ち船を回漕して蜜柑北陸地方東北地方で売り、帰路北海道に立ち寄り物産を仕入れ大阪で販売した。兄市郎兵衛と同じく産業育成に務め、明治17年(1884年)滋賀県大津に近江麻糸紡織会社を創設し、明治21年(1888年)には金巾製織株式会社設立に兄と共に参加した。会社創業後は兄市郎兵衛が社長、市太郎は役員となった。明治31年(1898年)兄が社長を辞した後市太郎が明治37年(1904年)まで第2代社長となった。阿部一族の本業である繊維事業において、市太郎はよく兄を補佐した[1]

また、伊藤忠兵衛より、慶應義塾を卒業し近江銀行に勤務していた辻房次郎を紹介され、娘ゑみの婿養子とし、新たに分家を立てた。辻房次郎こと阿部房次郎は、後に金巾製織より発展した東洋紡の社長となり、日本の繊維産業のリーダーとなった。また、金巾製織では田附政次郎藤井善助等を起用し次世代の人材を育成した。

栄典

脚注

  1. ^ a b 「近江商人列伝」 P225「紅屋 阿部市郎兵衛」の項(江南良三著 サンライズ印刷出版部 1989年)
  2. ^ 伝田功「近江銀行設立前後 江州商人との関係について」『研究紀要』第26巻、滋賀大学経済学部附属史料館、1993年3月、1頁、CRID 1390573407643730944doi:10.24484/sitereports.119358-59865ISSN 0286-6579 
  3. ^ 『官報』第1351号、「叙任及辞令」1887年12月28日。
  4. ^ 『官報』第1351号、「彙報 - 官庁事項 - 褒章 - 黄綬褒章下賜」1887年12月28日。

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