関わりの深い演奏家・楽団
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「ジョルジュ・プレートル」の記事における「関わりの深い演奏家・楽団」の解説
パリ音楽院管弦楽団の時代からのパリ管弦楽団とパリ国立歌劇場管弦楽団とは関係も長く、来日公演も行なっている。また、1980年代半ばからウィーン交響楽団における演奏の機会が多く、いくつかのツィクルスも行なっている。2004年にウィーン楽友協会の名誉団員となってからは同楽団の代表的な客員指揮者の一人として活躍し、ニューイヤーコンサートの指揮も務めるようになっている。 プレートルの知名度を挙げるひとつの契機となったマリア・カラスとの共演は、1961年に行われた『パリのマリア・カラス』の録音で、カラス本人がプレートルをお気に入りの指揮者として指名したことに始まる。その後、1962年にロイヤル・フェスティバル・ホールを皮切りにモンテカルロ・ハンブルク・エッセン・ボンで行われたカラスのコンサートツアーで指揮者を務め、翌1963年にベルリン・デュッセルドルフ・シュトゥットガルト・ロンドン・パリ・コペンハーゲンで行われたコンサートツアーでも指揮者を務めている。1964年にはパリ・オペラ座で行われた『ノルマ』において、カラスと今度はオペラで初共演した。 マリア・カラスと長い交際があったようなイメージが持たれることがあるが、カラスは歌手としてすでに下り坂にあり、実際にはコンサートツアーにおける13回の共演と18回のオペラでの共演記録しか残っていない。録音としても正式なスタジオ録音としては、ビゼーの『カルメン』全曲と、カラスにとって2回目のスタジオ録音であるプッチーニの『トスカ』全曲、フランス・オペラ・アリア集『パリのマリア・カラス』の3録音しか残されていない。1965年7月5日のコヴェントガーデン王立歌劇場における『トスカ』はカラスの最後のオペラへの出演となった。
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