間部家の入封
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:26 UTC 版)
享保5年(1720年)9月12日、越後村上藩主・間部詮言に越前国内5万石(今立郡107か村、丹生郡14か村、大野郡11か村)への移封が命じられた。これらの村は幕府領で、葛野陣屋(今立郡74か村と丹生郡14か村)と西鯖江陣屋(今立郡33か村と大野郡11か村)に管轄が分かれていた。享保6年(1721年)3月26日、間部詮言は幕府代官の小泉市太夫(葛野陣屋)・窪島作右衛門(西鯖江陣屋)から新領地を受け取った。同年4月21日に旧領村上を新領主内藤氏に引き渡し、領地替えの手続きが完了した。 新領地に城はなく(間部氏の家格が無城大名へと降格したことを意味する)、藩庁には西鯖江村の旧幕府陣屋(西鯖江陣屋)をそのまま使用することとなった。鯖江は誠照寺(浄土真宗)の門前町で、北陸道の間の宿ではあったが、詮言に与えられたのは西鯖江村のみで、北陸道を挟んだ東鯖江村は小浜藩領であった。西鯖江村は戸数27戸という寒村(村高800石)であったといい、陣屋町の建設も困難なほど狭小であった。このため鯖江藩は領地替えを幕府に申請し、享保6年(1721年)9月9日に東鯖江村を鯖江藩領として、ようやく陣屋町建設に必要な土地を手に入れた。陣屋町の形成に着手し、領国支配機構を整えた詮言は、領国入りを果たすことのないまま没した。藩主の初めて領地入りが行われたのは、享保14年(1729年)、2代藩主・間部詮方の時であり、これに合わせる形でおよそ8年を要した陣屋町建設は一応の完成を見たという。
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