開学の言葉 1970年6月1日(足立原 貫)
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「足立原貫」の記事における「開学の言葉 1970年6月1日(足立原 貫)」の解説
大学は学ぶものの集まりであるはずです。 「学ぶ」というのは、自ら考え自ら行ってみることです。 「教えられる」や「育てられる」というのとは、まるで異なる姿勢です。 いま、世の中の表通りにはもとより、一隈の大学にすら、「学ぶ」場と機会が消えています。 私たちは、「学ぶ」ことを求める多くの仲間たちに呼びかけて「学び合う」機会をつくろうと思い立ちました。 自分の眼で見、自分の耳で聴き、自分の頭で考え、自分の手と足で行ってみる“場”、それこそ“大学”であると確認し、そこに今失われている大きな二つのもの“人”と“土”の回生の願いを込めて、私たちは“人と土の大学”を開学しようとしています。 この大学は、誰かにとって「都合のよい」者を養成したり、誰かのために「役立てられる」ような教育が行われるところではありません。だから、学歴や資格、証書や免状などという虚飾とは無縁です。 時代の流れにまどわされず、静かな山の林間で、人間や社会や科学や芸術について考え語り合い、野菜類を自ら得るための作業を行って自然や生活を考える、という夏の幾日かを共に過ごそうと望まれるさまざまな人々の参加を期待しています。
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