鐘成の襲名者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 02:47 UTC 版)
永5年(1852年)晩鐘成の号を門人の安部貞昌に譲り、自らは鶏鳴舎暁晴翁と名乗り、著作の画を松川半山に任せて文作に専念した。この安部貞昌の方を鐘成と区別して2世暁鐘成と呼び、嘉永6年以降の著作目録においては1世の作品と2世の作品とが混在していると考えられるが、識別することは難しい。2世鐘成は万延元年閏三月11日没、3世は2世の子安藤昌太郎が継いだ。 また、『原色浮世絵大百科事典』第2巻[要ページ番号]によると、鐘成の子が2代を、孫が3代を継いだともいわれている。なお、後に分家筋から輩出した5代目木村平八とその長男、木村騰は大坂において『朝日新聞』の設立に関わる。
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