鏡の納入に関する背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:18 UTC 版)
仏像胎内の納入品は古代、平安時代後期から鎌倉時代にかけて盛んに行われ、様々なものが納入された事例が見られる。鏡の納入は、現在・京都府京都市右京区嵯峨に所在する清凉寺の本尊である釈迦如来像の事例が知られる。これは優填王思慕像(うでんおうしぼぞう)の模刻で、入宋した東大寺僧・奝然(ちょうねん)の依頼により北宋・雍熙2年(985年)に制作された。同像は像内に多数の納入品が収められていたが、その中に「線刻水月観音鏡像」が含まれる。以来、像内に鏡を納入した事例は平安後期から鎌倉時代にかけて多数見られる。 鏡は古くは古墳の副葬品としても出土し、古代には寺社の鎮壇具としても用いられていることから、呪術的意味合いがあると考えられている。密教においては満月の姿を菩薩心に通じるものとして、仏像の胸部に「月輪」(がちりん)の納入が盛んに行われた。鏡もこれと同様に、仏の本体・仏の心の象徴と解釈する思想があったとする説もある。 一方で、納入品は仏の魂の象徴としての意味のほかに、結縁者ゆかりの遺愛品を納入する事例もあることから、発見された和鏡納入の背景には双方の可能性が考えられているが、像内には他の納入品が見られないことから、前者の可能性が指摘される。
※この「鏡の納入に関する背景」の解説は、「甲斐善光寺」の解説の一部です。
「鏡の納入に関する背景」を含む「甲斐善光寺」の記事については、「甲斐善光寺」の概要を参照ください。
- 鏡の納入に関する背景のページへのリンク