銀座アスター食品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 08:08 UTC 版)
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | ![]() 〒141-8423 東京都中央区銀座一丁目8-16 GINZA ASTER BLD. 8階 |
設立 | 1954年12月 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 9010001041059 |
事業内容 | 中国料理レストランの経営、持ち帰り用の中国料理の加工販売 |
代表者 | 代表取締役社長 池田郁 |
資本金 | 8,000万円 |
売上高 | 105億円(2010年度9月期) |
純利益 | 4億9611万9000円(2019年09月30日時点)[1] |
総資産 | 198億4649万3000円(2019年09月30日時点)[1] |
従業員数 | 1,967人(契約社員含む) |
主要子会社 | 株式会社 銀座アスター |
外部リンク | https://www.ginza-aster.co.jp/ |
銀座アスター食品株式会社(ぎんざアスターしょくひん、英称:Ginza Aster Co., Ltd.)は、中華料理を製造して販売し、レストランを経営する、東京都中央区銀座に本社を置く会社である。
「アスター」は上海「浦江飯店(アスター・ハウス・ホテル)」に依拠する[2][要検証 ]。
概要
創業者の矢谷彦七(1888-1967)は、東洋汽船のハワイ - サンフランシスコ航路貨物船で事務長、牛乳配達業、のち1918年(大正7年)に築地でオーストラリアやニュージーランドからバターを輸入して発売する。帝国ホテルなどへ納入して国内流通量の6割を扱うまでに成長すると、事業を譲渡して資金を得る。
アメリカで流行の中華料理店チャプスイレストランを手本として、1926年(昭和元年)に銀座で「アメリカン・チャプスイ・ハウス・レストラン」と冠した中華料理店「アスター」を開業する[3]。1階はアメリカ風内装、2階は宴会場、コックは中国人、接客係は少女[3]、カトラリーはフォークとナイフ、とアメリカ風中華料理店で話題となり繁盛する。のちに中国人から助言を得て本格的中華料理店を目指す。
第二次世界大戦で被災するが、戦後1946年(昭和21年)に再建して喫茶店を開店する。1948年(昭和23年)に中華料理店を再開すると、百貨店食品売り場で餃子や焼売など中華惣菜を販売し、成長して社名を銀座アスター食品株式会社へ改称する。1950年代に焼売弁当が好評を得る。
現在は関東、東海、関西でレストランと持ち帰り用惣菜のデリショップを運営する。
アスターちゃん
チャイナドレス姿で左頬に米粒を付けたマスコットキャラクター。現在副会長の太田喜久子が考案した。昭和30から40年代に、当社レストランの飲食会計時や焼売弁当など商品購入時にシールを配布し、集めると人形と引き換えた。現在は古物収集家に人気がある。
脚注
- ^ a b 銀座アスター食品株式会社 第66期決算公告
- ^ Ginza Aster Co.,Ltd.,. “Brand story / 昭和前期”. 銀座アスター. 2016年11月24日閲覧。
- ^ a b 中町泰子「日系チャプスイレストランにおけるフォーチュンクッキーの受容」『年報非文字資料研究』第5号、神奈川大学日本常民文化研究所 非文字資料研究センター、2009年3月、173-186頁、ISSN 18839169、 NAID 120006603626。
外部リンク
固有名詞の分類
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