鈴木貞一
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鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年〈明治21年〉12月16日 - 1989年〈平成元年〉7月15日[1])は、日本の陸軍軍人。近衛内閣や東條内閣で国務大臣を務めた。最終階級は陸軍中将。正三位勲二等。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」の一人。千葉県山武郡芝山町(山中)出身。
- ^ a b 第2版 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,世界大百科事典. “鈴木貞一とは”. コトバンク. 2021年12月9日閲覧。
- ^ 日本ニュース第72号|NHK戦争証言アーカイブス
- ^ <遂行された国策「開戦」>三国一朗ほか編『太平洋戦争前期 昭和史探訪.3』(番町書房のち角川文庫)
- ^ 裁判では、陸軍中将ではなく、企画院総裁という文官としての立場で起訴されている。
- ^ ほぼ同内容のことが武藤章の手記に記述されている。武藤章『比島から巣鴨へ』中公文庫2008 p260
- ^ 『佐藤栄作日記』にも出てくる(朝日新聞社)。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、53頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 法廷証第126号: [鈴木貞一關スル人事局履歴書]
- ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
- ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
- ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
- ^ 『官報』第3534号「叙任及辞令」1924年6月5日。
- ^ 『官報』第2133号「叙任及辞令」1934年02月13日。
- ^ 『官報』第3283号「叙任及辞令」1937年12月10日。
- ^ 『官報』第4182号「叙任及辞令」1940年12月13日。
- ^ 『官報』第4310号「叙任及辞令」1941年5月23日。
- ^ 『官報』第4920号「叙任及辞令」1943年6月9日。
- ^ 『官報』第2130号「叙任及辞令」1934年02月09日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『官報』第4086号「叙任及辞令」1940年8月19日。
- ^ 「長谷川清外三十一名外国勲章記章受領及佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113504700
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