鈴木貞一とは? わかりやすく解説

鈴木貞一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 10:19 UTC 版)

鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年明治21年〉12月16日 - 1989年平成元年〉7月15日[1])は、日本陸軍軍人近衛内閣東條内閣で国務大臣を務めた。最終階級は陸軍中将正三位勲二等。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」の一人。千葉県山武郡芝山町(山中)出身。


  1. ^ a b 第2版 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,世界大百科事典. “鈴木貞一とは”. コトバンク. 2021年12月9日閲覧。
  2. ^ 日本ニュース第72号|NHK戦争証言アーカイブス
  3. ^ <遂行された国策「開戦」>三国一朗ほか編『太平洋戦争前期 昭和史探訪.3』(番町書房のち角川文庫)
  4. ^ 裁判では、陸軍中将ではなく、企画院総裁という文官としての立場で起訴されている。
  5. ^ ほぼ同内容のことが武藤章の手記に記述されている。武藤章『比島から巣鴨へ』中公文庫2008 p260
  6. ^ 『佐藤栄作日記』にも出てくる(朝日新聞社)。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、53頁。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l 法廷証第126号: [鈴木貞一關スル人事局履歴書]
  10. ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
  11. ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
  12. ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
  13. ^ 『官報』第3534号「叙任及辞令」1924年6月5日。
  14. ^ 『官報』第2133号「叙任及辞令」1934年02月13日。
  15. ^ 『官報』第3283号「叙任及辞令」1937年12月10日。
  16. ^ 『官報』第4182号「叙任及辞令」1940年12月13日。
  17. ^ 『官報』第4310号「叙任及辞令」1941年5月23日。
  18. ^ 『官報』第4920号「叙任及辞令」1943年6月9日。
  19. ^ 『官報』第2130号「叙任及辞令」1934年02月09日。
  20. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  21. ^ 『官報』第4086号「叙任及辞令」1940年8月19日。
  22. ^ 長谷川清外三十一名外国勲章記章受領及佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113504700 


「鈴木貞一」の続きの解説一覧




鈴木貞一と同じ種類の言葉


固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」から鈴木貞一を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から鈴木貞一を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から鈴木貞一を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鈴木貞一」の関連用語

鈴木貞一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鈴木貞一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鈴木貞一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS