野村休盛の流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 10:14 UTC 版)
野村休盛(1642年 - 1711年)は代々徳川将軍家の茶道組頭を務める家の出身で、将軍家の茶道が遠州流から石州流に変わったことから石州に入門したと考えられている。江戸後期になって、野村家にも清水派が取り入れられたとされる。この流れを汲む流派が野村派である。数寄屋頭の伊佐家により広く伝えられた怡渓派(後述)と異なり、茶道組頭の野村家による伝播は多くない。 秋田藩では、5代藩主佐竹義峯が野村休盛英勝に伝授を受けてから、野村派が行われるようになった。維新後、佐竹家御用商人だった菅原新五郎の高弟の成瀬峯雲が東京で伝授したことにより、成瀬派、林泉寺派、古閑堂派などに分派した。これ以外に野村派は新潟にも伝わっている。
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