野営地炎上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:03 UTC 版)
「ウティカの戦い (紀元前203年)」の記事における「野営地炎上」の解説
この情報を基に、スキピオは戦闘の計画を練った。スキピオはカルタゴ軍がカストラ・コルネリア攻撃の準備を続けていることを知っており、春の訪れを待って先制攻撃をかけた。その後の推移に関して、古代の歴史家達は、2つの異なった説を唱えている。リウィウスとポリュビウスの説は次の通りである。スキピオは分遣隊(兵力2,000)をウティカを見下ろす丘の上に派遣し、敵の偵察隊がローマ軍の意図を察知するのを阻止した。別の小さな分遣隊がローマ軍野営地の守備のために残された。主力軍は夜間に10キロメートル以上行軍し、夜明け前にハスドルバルとシュファクスの野営地に到着した。スキピオは軍を2つに分け、ラエリウスとマシニッサにシュファクスの野営地に放火・破壊するよう命じた。シュファクスの兵は就寝中で何の準備も行っていなかったため、炎から逃れるチャンスはほとんどなかった。柵の外側の小屋から始まった火事は、直ぐに野営地全体に広がった。全ての出口をローマ軍が押さえており、武装せずに脱出してきた兵士の多くが殺され、また残りは焼死した。ハスドルバルの野営地でも同様の事態が起こっていた。ただ、シュファクスの野営地の出火の報告があったため、ハスドルバルの兵は起きており、火事は失火によるものと考えてヌミディア野営地救出に非武装でかけつけた。スキピオはこの時を待っており、混乱につけこんで攻撃を開始した。カルタゴ軍は組織的な抵抗ができず、崩壊した。ハスドルバル、シュファクスは少数の兵と共になんとか脱出することができた。
※この「野営地炎上」の解説は、「ウティカの戦い (紀元前203年)」の解説の一部です。
「野営地炎上」を含む「ウティカの戦い (紀元前203年)」の記事については、「ウティカの戦い (紀元前203年)」の概要を参照ください。
- 野営地炎上のページへのリンク