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釈本煥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 08:25 UTC 版)

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釈 本煥
1907年9月21日—2012年4月2日
本煥、1950年代。
幼名 張鳳山
張志山
法名 心虔
本煥
生地 湖北省新洲県
没地  中華人民共和国 広東省深圳市弘法寺
宗派 臨済宗
寺院 弘法寺
虚雲
弟子 釈印順

釈 本煥(しゃく ほんかん、1907年9月21日 - 2012年4月2日)は、中華民国中華人民共和国臨済宗の禅僧[1][2]。号は本煥、法名が心虔湖北省新洲県出身で俗姓は張氏。

略歴

1907年9月21日湖北省新洲県(現・湖北省武漢市新洲区)に生まれる。俗名は張鳳山張志山

7歳の時に私塾に送られ、6年間学習した。それからは食料品店に勤務した。

1930年、地元の報恩寺にて出家得度。この後に、武昌区宝通寺具足戒を受け、江蘇省揚州市にある高旻寺の高僧の来果長老の弟子となった。

1939年五台山碧山寺の第三代住職に選出された。

1947年北京弥勒院、天津居士林、浙江省舟山市普済寺などの名山古寺などで禅宗の教学を学んだ。

1949年虚雲から臨済宗衣法を授けられ、臨済宗第四十四代の法嗣となった。併せて南華寺住職に就任した。

1958年中国共産党が「反右派闘争」運動を始めると、不当な捜査を受けた。これによって投獄され、22年間刑務所に拘留された。その間、著名な文化学者の趙樸初は繰り返し本煥の釈放嘆願運動を実行した。

1978年毛沢東が死去すると鄧小平が実権を掌握し、名誉回復を果たした。

1980年丹霞山別伝寺住職に就任。

1987年広州光孝寺住職に就任。

1998年8月日本を訪問した。

2012年4月2日深圳市弘法寺にて示寂[3]。享年104歳。

弟子

脚注




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