避雷針憲法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)
「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「避雷針憲法」の解説
楢橋は決意して幣原に断行することを伝え、幣原より一切の委任を受け、極秘裡に作業を進めた。上記楢橋の証言は、1946年3月20日に、幣原が枢密院でした説明内容とほとんど一致する。楢橋にとって、GHQ草案は「避雷針憲法」であった。極東委員会という「雷」から、天皇を守る「避雷針」がGHQ草案である。つまり、楢橋にとってGHQ草案は、国際情勢の変化から、共和制(大統領制)という日本にとって「より不幸」で「より不利」な事態が来るのを切り抜けるために、「好意のある考えで」作られた憲法である。楢橋は、かりに極東委員会がマッカーサーを通じて、共和主義憲法を日本に強要した場合に、日本社会が「大混乱に陥る」事態を想定した。それを避けるために、天皇神権的な考えを払拭していかなる民主主義諸国も反対できない憲法を作ることで、危機を切り抜けようと考えた。 楢橋は1946年2月24日、ケーディスとハッシーを自宅に招待し懇談した。この時点で自分が閣僚になることが分かっていた楢橋は、二人に自分が閣僚を希望した理由を「内閣書記官長としてもちうる影響力だけでは、〔民主的な案を通すための〕内閣総理大臣のたたかいを援けるには不十分であることが分かったので閣僚となる決心をした」と語った。
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