選帝侯位消滅後のプファルツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 07:13 UTC 版)
「ライン宮中伯」の記事における「選帝侯位消滅後のプファルツ」の解説
1777年以降、事実上バイエルンの一部となったプファルツであるが、1801年にバイエルン選帝侯マクシミリアン4世ヨーゼフが革命フランスにプファルツ全土を譲渡した(その後、南ドイツで領土を拡大し、1806年にバイエルン王マクシミリアン1世として即位する)。フランスはライン川の左岸をフランス領とし、右岸はバーデン辺境伯とヴュルテンベルク公に割譲された。1815年のウィーン会議により、フランス領であった左岸のみバイエルン王国の飛び地として編入された。この領域は、その他のライン左岸の地域と合わせ、連合軍軍政期の1946年にラインラント=プファルツ州として再編され、現在に至っている。
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