遠征の終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 20:43 UTC 版)
翌日チャーチはグランプレを去り、ピジギ(現在のノバスコシア州ウィンザーとファルマス)奇襲に向かい、そこで45人のアカディア人を捕虜にした。それからポートロワイヤルに船を向けて、ここを封鎖していた艦隊と再合流した。フランス側の報告によれば、封鎖していた艦隊は、ポートロワイヤルの近くに何人かの兵を上陸させ、一軒家を幾つか焼いたり、住民を捕虜として捕まえたりした。それ以上のイングランド兵の上陸を防ぐため、総督ブルイヤンが防御を強化したとあるが、この報告以外に、この事実について触れた書物や文献はない。 艦隊と再合流したのち、チャーチは作戦会議を開いて、ポートロワイヤルに大規模な攻撃を仕掛けるかどうかを話し合った。会議では、ニューイングランド軍が「相手の戦力よりも劣る」と裁定され、「ポートロワイヤル攻撃をやめて自分たちがなすべきことをした」。チャーチ隊はファンディ湾からシグネクト地峡へと進み、ボーバサンの村を攻撃した。彼らが攻撃する前に、住民たちはイングランド軍が来ると警告されており、持ちものや、出来るだけ多くの家畜を村から移動させた。チャーチは、森に潜んでいた住民との意味のない小競り合いの後、村の民家と納屋に火を放って、100頭の牛を惨殺してから、ボストンに向けて出航した。この遠征で、チャーチはニューイングランド兵6人が戦死したと報告している。
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