達智門院との親交
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禧子は後醍醐天皇の同母姉の達智門院(奨子内親王、元・伊勢斎宮)とも親交があった。禧子の父の西園寺実兼は元亨元年(1321年)9月10日に薨去し、家宝である箏の一つを達智門院に遺していた。薨去後のいつか確実な時期は不明だが、そのときの禧子と達智門院の贈答の和歌が『新千載和歌集』に入集している。 後西園寺入道前太政大臣申しおきて侍りける琴を、宣政門院いまだ一品の宮と申しける比たてまつらせ給ふべきよし達智門院へ申させ給ふとて代々をへて すみにし山の 松の風 千とせの声や ゆづりおきけむ(大意:何代も住んできた山の松の風、その松風のような響きの箏の千年の音を、父は達智門院様へ譲りおいていたということです) —後京極院、『新千載和歌集』慶賀 御返し行く末を ゆづりおきける 松の風 つたへむ千世の こゑぞしらるる(大意:行く末を譲りおいていたという、松風の箏を受け継ぎましょう。かの名高い千世の音が聞こえてきます) —達智門院、『新千載和歌集』慶賀
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