道越とは? わかりやすく解説

富田地区 (倉敷市)

(道越 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 02:04 UTC 版)

富田地区(とみたちく)は、岡山県倉敷市玉島地域にある地区である。かつての浅口郡富田村(とみたそん)に相当する[1]。現在の住所表記における玉島八島(たましまやしま)、玉島道越(たましまみちごえ)、玉島道口(たましまみちぐち)、玉島富(たましまとみ)にあたる。


  1. ^ 2022年現在は、八島の南部(山陽本線以南)は、玉島学区となっている。
  2. ^ 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 巌津政右衛門 『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
  4. ^ 人口月報|倉敷市
  5. ^ 総務省|電気通信番号の利用・指定|市外局番の一覧 2014年5月31日閲覧。


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道越

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 04:30 UTC 版)

富田 (倉敷市)」の記事における「道越」の解説

玉島地域西端位置する平野地帯である。近世初め頃まで当地海域であり、吉備の穴海(きびのあなうみ)のと呼ばれた海の西部にあたり、甕の海(もたいのうみ)や玉の浦たまのうら)と呼ばれていた。 江戸時代付近所領した備前国岡山藩藩主池田家が、新田開発のために干拓事業行い、道越新田として当地誕生した当時は田90町2反の規模であった寛文11年鴨方藩当時岡山新田藩)が立藩すると、その領地となった元禄期の検地帳には、石高1698石9斗9升と記載されている。なお、浅口郡竹村現在の浅口市金光町下竹元禄期の検地帳では455石3斗5合)が枝村となったが、下竹村岡山藩領となった。 現在、地区南部国道2号線玉島バイパスおよび旧国道2号線東西通過している。また矢掛方面と結ぶ主要県道当地から分岐している。 古くから田畑多く稲作野菜栽培が盛んであるが、近年一部住宅地多くなっている。

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