富田地区 (倉敷市)
道越
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 04:30 UTC 版)
玉島地域の西端に位置する平野地帯である。近世初め頃まで当地は海域であり、吉備の穴海(きびのあなうみ)のと呼ばれた海の西部にあたり、甕の海(もたいのうみ)や玉の浦(たまのうら)と呼ばれていた。 江戸時代、付近を所領した備前国岡山藩の藩主・池田家が、新田開発のために干拓事業を行い、道越新田として当地は誕生した。当時は田90町2反の規模であった。寛文11年に鴨方藩(当時は岡山新田藩)が立藩すると、その領地となった。元禄期の検地帳には、石高1698石9斗9升と記載されている。なお、浅口郡下竹村(現在の浅口市金光町下竹、元禄期の検地帳では455石3斗5合)が枝村となったが、下竹村は岡山藩領となった。 現在、地区南部を国道2号線玉島バイパスおよび旧国道2号線が東西に通過している。また矢掛方面と結ぶ主要県道も当地から分岐している。 古くから田畑が多く、稲作や野菜栽培が盛んであるが、近年は一部住宅地が多くなっている。
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