道修町が「くすりの町」と呼ばれる由来とは? わかりやすく解説

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道修町が「くすりの町」と呼ばれる由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:55 UTC 版)

くすりの道修町資料館」の記事における「道修町が「くすりの町」と呼ばれる由来」の解説

館名に「くすりの道修町」とあるが、そもそもなぜ道修町がくすりの町と呼ばれるのかについて、考察する道修町そのもの歴史について道修町#歴史参照されたい。 寛永年間道修町1丁目に堺の商人である小西右衛門薬種屋開き道修町はくすりの町として歩み始めた1722年享保7年)、124軒の薬種業者が株仲間として江戸幕府から公認を受け、値段付け全国売り捌くことが認められた。幕府公認至った背景として、当時薬種原料である中国から輸入された唐薬種日本採れる和薬種は、適切な品質であるかどうか見分けるのが非常に難しかったため、知識をもつ薬種業者の検査が必要とされていたことが挙げられる1822年文政5年)、大阪コレラ流行した際、薬種業者が疫病除けとして虎の頭の骨を配合した虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきおうえん)」という丸薬作って神前祈祷後、庶民無料配布したとされる。もちろん、虎頭殺鬼雄黄圓にはプラシーボ上の効果はない。なお、道修町疫病除けお守りとして売られている張り子の虎はこれに由来している。 明治時代になると西洋医学広まり薬舗夜学校開設され薬種業者は西洋医学勉強始めたという。薬舗夜学校は、現在の大阪大学薬学部大阪薬科大学の基となった今でも周囲には日本代表する製薬企業の本社などが立ち並び研究行っている。これが、道修町がくすりの町と呼ばれる所以である。

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