過去の同名の団体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:18 UTC 版)
「日本エスペラント協会」の記事における「過去の同名の団体」の解説
過去に2期、この名前の全国的なエスペラント団体が存在した。 日本エスペラント協会 (エスペラント語: Japana Esperantista Asocio) 第1期 1906年6月12日に黒板勝美、浅田栄次、安孫子貞治郎らにより発足。黒板の放漫財政により運営危機に陥り、1919年の日本エスペラント学会発足により実質的な活動を終えるが、1926年の日本エスペラント学会の法人化までは形式的に存続。 事務所は、京都の老舗印刷会社便利堂の創業者一族である中村弥二郎が経営していた東京の有楽社内にあり、大杉栄なども出入りしていた。 第2期 1946年6月23日に小松文夫を委員長として発足。日本エスペラント学会を学習・研究の機関とし、自らをエスペラント普及運動の機関と位置づけた。その後、分業体制が機能せず、1950年12月4日に解散。
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