過去に存在した党の諜報機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:58 UTC 版)
「朝鮮労働党」の記事における「過去に存在した党の諜報機関」の解説
作戦部(작전부)は、スパイの護送及び浸透、破壊工作、要人暗殺を担当していた機関である。7ヶ所から10ヶ所の「連絡所」を管轄し、スパイを韓国や日本に護送していた。ユーゴ級潜水艦浸透事件や、日本人拉致事件の実行機関と言われている。2009年の情報機関改革で、作戦部と党対外情報調査部と軍総参謀部偵察局が統合して朝鮮人民軍偵察総局が発足したことにより、発展的に解消した。 対外情報調査部(대외정보조사부)は、韓国以外の第3国における情報収集、第3国を経由した韓国内へのスパイの浸透を担当していた機関である。過去、調査部、対外調査部と呼ばれ、「35号室」と称することもあった。大韓航空機爆破事件、韓国の映画監督である申相玉・崔銀姫夫妻の拉致等の実行機関とされる。2009年の情報機関改革で、対外情報調査部と党作戦部と軍総参謀部偵察局が統合して朝鮮人民軍偵察総局が発足したことにより、発展的に解消した。 対外連絡部(대외련락부)は、韓国や日本などに浸透するスパイや地下組織を管理する機関である。過去、連絡部、社会文化部と呼ばれていた。2009年の情報機関改革で、内閣附属の内閣第225部(室)(対外交流局(대외교류국))に縮小改編された後、再び党所属に復帰し、現在では第225部(室)は統一戦線部の傘下機関となっている。
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