進雄神社_(高崎市)とは? わかりやすく解説

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進雄神社 (高崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/24 14:16 UTC 版)

進雄神社
所在地 群馬県高崎市柴崎町801
主祭神 速須佐之男命
社格 郷社
創建 貞観11年(869年
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進雄神社(すさのおじんじゃ)は、群馬県高崎市柴崎町の神社。旧社格郷社

歴史

清和天皇の御代、貞観11年(869年)に尾張国海部郡津島(現・愛知県津島市)の津島牛頭天王社(現・津島神社)から分霊を勧請したと伝わる[1][2][3][4]

1057年天喜5年)、前九年の役で出征する源頼義は、当社で戦勝を祈願し、その願いは無事達成されたという。このために戦国時代では、武田氏上杉氏後北条氏戦国大名が、当社で戦勝祈願したり社領の安堵をしている[1][3][4]

江戸時代も、江戸幕府第3代将軍徳川家光より、30の社領を得ている[5][3][4]

明治初期、これまで神仏習合が色濃い牛頭天王祭神としていたが、神仏分離政策により、速須佐之男命に変更、名称も「天王宮」から「進雄神社」に変更し、現在に至っている[1][2]

1906年(明治39年)12月28日、神饌幣帛料供進社に指定[3]

1907年(明治40年)10月境内末社7社などを合祀、1911年(明治44年)8月大字下大類の村社・熊野神社などを合祀、同年9月大字中大類の村社・降照神社と同社境内社を合祀[3]

1931年昭和6年)に郷社となった[2]

祭神

  • ほか24柱[2]

文化財

  • 高井家文書(高崎市指定重要文化財 昭和46年2月18日指定)[6]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 御由緒進雄神社
  2. ^ a b c d 神社本庁調査部 編『神社名鑑』神社本庁神社名鑑刊行会、1963年4月、156頁。doi:10.11501/2997363 (要登録)
  3. ^ a b c d e 群馬県群馬郡教育会『群馬県群馬郡誌』群馬県群馬郡教育会、1925年10月20日、595-596頁。doi:10.11501/1020918 
  4. ^ a b c 高崎市史編さん委員会『高崎市史』 3巻、高崎市、1968年3月31日、544頁。doi:10.11501/9640213 (要登録)
  5. ^ 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年、64-65p
  6. ^ 高井家文書高崎市

参考文献

  • 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年

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