通過各国との交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/14 16:13 UTC 版)
「オリエント・エクスプレス '88」の記事における「通過各国との交渉」の解説
前述のとおり、通過各国との交渉はフジテレビが担当した。ただし、フランスからポーランドまではイントラフルークが交渉を担当した。 当初は日本へ車両の船積みは上海から行う予定であった が、折り悪く1988年3月24日に上海列車事故が発生したため、中国との交渉に悪影響を及ぼした。結局、港湾施設の事情もあって、日本への船積みは香港で行うように変更した。しかし、香港側も、最初のうちは「そんな列車が来るはずはない」と信用せず、交渉は困難を極めた。また、フランス国鉄 (SNCF) の交渉も、最初の頃は「そんな列車を本気で走らせようとする人間がいるとは思えない」と取り合ってもらえなかったという。 一方、最も困難な交渉が予想されていたソ連は、ゴルバチョフ書記長の政権下でペレストロイカと称する改革方針を打ち出した直後であったため、比較的簡単に了解を得られた のみならず、グラスノスチ政策によって列車の空撮まで認められた。ドイツ民主共和国(東ドイツ)やポーランド人民共和国の対応も好意的であったという。
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