近藤陽子とは? わかりやすく解説

近藤陽子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 02:33 UTC 版)

近藤陽子
生誕
出生地
(1979-02-13) 1979年2月13日(46歳)
青森県八戸市
ポジション ディフェンス
シュート 右打ち
所属チーム SEIBUプリンセス ラビッツ
代表 日本
プロ選手期間 年 – 現在
獲得メダル
日本
女子アイスホッケー
アジア冬季競技大会
1999 韓国 女子団体
2007 長春 女子団体
2011 アスタナ・アルマトイ 女子団体

近藤 陽子こんどう ようこ1979年2月13日 - )は、青森県八戸市出身の女子アイスホッケー選手である。ポジションはディフェンダーSEIBUプリンセス ラビッツ所属。日本体育大学女子短期大学部卒業。身長164cm。

来歴

小学生の時に地元の少年団「八戸南ジュニア」でアイスホッケーを始め、八戸レッズを経て(高校は八戸工業大学第一高等学校)、日本体育大学短期大学部進学に合わせコクドレディース(現SEIBUプリンセス ラビッツ)へ入団。

1998年には19歳で長野オリンピック日本代表として出場[1]。以来代表の中心選手として活躍を続ける。

2005年より久保英恵とともにカナダのプロリーグNWHLのオタワレイダースで1シーズンプレーした。38試合出場3ゴール10アシスト13ポイントをマーク。

2007年アジア冬季競技大会では女子日本代表チームの主将を務めた。

2008年バンクーバーオリンピック予選にてプレーもさることながら、精神的な柱になり活躍。

2013年2月に行われたソチオリンピック最終予選には出場できなかったが、2014年のオリンピック本戦のメンバーには選出された。

日本代表歴

2013年現在、日本代表最多出場記録42回を保持している。

脚注

関連項目

外部リンク


近藤陽子(こんどうようこ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/17 16:28 UTC 版)

おどろ 〜陽子と田ノ中の百鬼行事件簿〜」の記事における「近藤陽子(こんどうようこ)」の解説

市立千石高等学校に通う女子高生生まれつき瞳の色が薄い。17歳誕生日に、この世本質見抜く目「神箴眼しんしんがん)」に目覚める

※この「近藤陽子(こんどうようこ)」の解説は、「おどろ 〜陽子と田ノ中の百鬼行事件簿〜」の解説の一部です。
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