近世の直木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 07:53 UTC 版)
江戸時代には薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであった。村高は「郡村高辻帳」及び「天保郷帳」では862石余、「三州御治世要覧」では784石余、「旧高旧領取調帳」では875石余であった。村内は上直木、中直木、下直木、平谷、四元などの字に分かれていた。 直木村は薩摩藩の直轄地であり、伊集院地頭の支配下に置かれていた。直木村の郷士らは元治元年(1864年)の長州征伐や、1868年の戊辰戦争では外城三番隊として参戦した。文化8年(1811年)には茶39匁が南原門の上納品として記されており、これが松元茶の沿革では最も古いものである。明治時代になり直木村には戸長役場が設置されたが、1884年(明治17年)に上谷口村の戸長役場に統一された。1886年(明治19年)に直木簡易小学校が設立された。直木簡易小学校は入佐簡易小学校と1892年(明治25年)に合併し、東昌尋常小学校(現在の鹿児島市立東昌小学校)となった。
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