農業形態の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/30 00:37 UTC 版)
「ウズベキスタンの農業」の記事における「農業形態の変化」の解説
1991年以前は、ウズベキスタン (当時の名称はウズベク・ソビエト社会主義共和国)の農業はソビエト連邦内の他の共和国と同じく、2つのシステムから成り立っており、大規模な集団国営農場 (ソフホーズ、совхоз)とほぼ個人経営による小規模な集団農場 (コルホーズ、Колхоз)が共存していた。1992年にウズベキスタンが独立し資本主義による市場経済に移行したことで、3つの異なった種類の農場が生まれることになった。伝統的な個人経営農場はデフカン(英語版) (Dekhkon, ウズベク語: деҳқон хўжаликлари, ロシア語: дехканские хозяйства)と名前を変え、以前は国営で行われていた大規模農場はシルカット (shirkat、農業生産協同組合) もしくは他の企業の農場 (合資会社や有限責任会社、パートナーシップなど)へと変化した。さらに新しい形態の農場として、中規模農場である小作農家による農場フェルメル (Fermer, ウズベク語: фермер хўжаликлари, ロシア語: фермерские хозяйства) が、デフカンより大きくシルカットより小さな農場として導入された。2006年より、フェルメルは国内作付面積全体の75%を占めるようになり、デフカンの12.5%やシルカットの12.5%を大きく上回るようになった。ただし牧畜業においてはこれは当てはまらず、95%のウシがデフカンで育てられており、フェルメルは4%、シルカットが1%を占める状態になっている。デフカン農場は農業総生産額の62%を占めており、フェルメルが32%でこれに続いており、シルカットの占める割合は6%にまで下がっている。
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