越前大道寺氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 17:15 UTC 版)
大道寺政繁の長男の直繁は、北条氏の敗北後は高野山で蟄居処分となった当主に従った。北条氏はすぐに許されたが、直繁は北条氏に代わり関東の支配者となった徳川家康・秀忠に仕えた。直繁の子の繁久は秀忠の異母弟で越後高田藩主の松平忠輝付となったが、忠輝の改易により浪人した。繁久の子の重祐、いわゆる大道寺友山は江戸にて諸学問を、特に甲州流軍学を学び、安芸広島藩浅野氏、会津藩松平氏の客分を経て、越前松平氏の福井藩に迎えられ、主に軍学を講じた。友山の子孫は福井藩士となり、江戸留守居役などを勤めた。 直繁以降、この系は「孫九郎」を名乗っている。この「孫九郎」は、政繁以前から大道寺氏当主の名乗りであり、諸藩の分家は名乗らない。
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