貯蔵所の設置、1911年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
「テラノバ遠征」の記事における「貯蔵所の設置、1911年」の解説
第一年目の目標は、バリアの縁から(セイフティ・キャンプ)南緯80度まで一連の補給所を置くことであり、翌年春に始まる南極行のための準備だった。最後の補給所が最大のものであり、1トン・デポと呼ばれることになった。この仕事は12人の隊員、8頭の最適なポニー、および2組の犬橇チームで行われることになっていた。氷の状態が悪くモーター駆動橇は使えなかった。 この行程は1月27日に出発し、チェリー=ガラードに拠れば「恐慌に近いような大急ぎ」だった。進行は予定よりも鈍く、バリア行きのために必要としたノルウェーの雪靴がエバンス岬に残されていたために、ポニーの能力が逆に影響した。2月4日、ハットポイントから40マイル (64 km) の地点にコーナー・キャンプを設営した。ここでブリザードのために3日間停滞した。その数日後に行軍が再開され、スコットは弱い方のポニー3頭を送り返した(途中で2頭が死んだ)。補給所設置隊が南緯80度に近づいたとき、スコットは隊が即座に基地に引き返さない限り、残っているポニーが基地まで戻れなくなることを心配した。前進を望んだオーツの助言に逆らい、倒れたポニーを殺して肉にし、南緯79度29分に1トン・デポを置くことに決めた。そこは前もって意図した場所よりも30マイル (50 km) 以上北だった。 スコットは、クレバスに落ちた犬のチームを救うために自分の生命を危険に曝した後で、犬を連れてセイフティ・キャンプに戻った。鈍いポニーの隊が到着したとき、その内の1頭が大変悪い状態にあり、間もなく死んだ。その後、残っていたポニーが近くのハットポイントまで海氷を渡っているときに、氷が割れた。決死の救援活動を行ったが、さらに3頭のポニーが死んだ。補給所設置の旅に出た8頭のポニーのうち、戻ってこれたのは2頭だけだった。
※この「貯蔵所の設置、1911年」の解説は、「テラノバ遠征」の解説の一部です。
「貯蔵所の設置、1911年」を含む「テラノバ遠征」の記事については、「テラノバ遠征」の概要を参照ください。
- 貯蔵所の設置、1911年のページへのリンク