豊比咩神社(とよひめじんじゃ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 03:56 UTC 版)
「高良大社」の記事における「豊比咩神社(とよひめじんじゃ)」の解説
式内社(名神大)。旧県社。現在は摂社として本殿に合祀。祭神:豊比咩大神(豊玉姫命)。
※この「豊比咩神社(とよひめじんじゃ)」の解説は、「高良大社」の解説の一部です。
「豊比咩神社(とよひめじんじゃ)」を含む「高良大社」の記事については、「高良大社」の概要を参照ください。
豊比咩神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 03:56 UTC 版)
豊比咩神社(とよひめじんじゃ) 式内社(名神大)。旧県社。現在は摂社として本殿に合祀。祭神:豊比咩大神(豊玉姫命)。 名神大社の論社の一つ。筑後国三井郡の式内社3座(大2座・小1座)は同一個所にあったであろうと考えられており、天安元年(857年)5月に豊比咩神社の社殿を焼失した際、高良玉垂宮にも被害があった記録があることから、相殿あるいは至近距離にあったとする説もある。貞観11年(869年)3月22日、正四位上に列格。『筑後国神名帳』にも記載はあるが、その後は退転し不詳となった。そのため論社は複数存在する。 貞享2年(1685年)に末社として再興されたというが、その社殿は真根子神社のものとして使われている。明治維新のころに御井町字清水、清水山山頂(御手洗池西岸)の「新清水観音堂」境内に豊比咩神社の小祠が作られ再興、さらに明治の神仏分離により新清水観音堂が廃されたことからそちらに移った。境内には桃青霊神社も鎮座していた。1873年(明治6年)県社に列格。明治中年頃の『国幣中社高良神社絵図』には「境外県社」とある。「豊比咩社」「豊比咋咩神社」とも称した。 1936年(昭和11年)に隣接地であるブリヂストン石橋家の別荘「水明荘」の用地の一部となり、豊比咩神社は廃社され本殿に合祀、社殿などはそのまま放置されているというが、桃青霊神社は後に現在地の宮地嶽神社境内に遷座した。
※この「豊比咩神社」の解説は、「高良大社」の解説の一部です。
「豊比咩神社」を含む「高良大社」の記事については、「高良大社」の概要を参照ください。
- 豊比咩神社のページへのリンク