豊後節系浄瑠璃による「梅川忠兵衛」
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「恋飛脚大和往来」の記事における「豊後節系浄瑠璃による「梅川忠兵衛」」の解説
上でも述べたように「梅川忠兵衛」の芝居は江戸でも舞台に取り上げられているが、その最後の幕である「新口村」はこれを「道行」と称し、豊後節系の浄瑠璃(富本節、常磐津節、清元節)で上演されている。ただしそれらはいずれも、『けいせい恋飛脚』の「新口村」の詞章を多少改めたものである。またそれ以外の内容については、舞台を江戸に書替える事があった。 『道行恋飛脚』(みちゆきこいのひきゃく) 富本節。安永9年7月、江戸市村座。 忠兵衛が四代目松本幸四郎、梅川が三代目瀬川菊之丞。 『三種笠慈愛旅路』(さんどがさじあいのたびじ) 常磐津節。文化7年(1810年)9月、江戸森田座。 忠兵衛が初代片岡市蔵、梅川が中村友吉。 『道行故郷の春雨』(みちゆきこきょうのはるさめ) 清元節。文政(1824年)7年3月、江戸市村座。 忠兵衛と孫右衛門が三代目坂東三津五郎、梅川が五代目岩井半四郎。三津五郎が二役早替り。この曲では場面が雪ではなく雨としている。
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