谷重尚を祖とする系統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:10 UTC 版)
佐々木信綱の次男高島高信の三男重尚を祖とする。1487年 近江源氏の主流 佐々木氏が近江八幡金剛に金剛城を築城した後、谷氏が近江八幡武佐に友定城(谷殿)を築城する。戦国時代には子孫の谷重春が佐々木氏後裔の六角義賢に属して、重春の子重則は富田長家の五男小吉郎(後の佐野信吉)の家臣となった。主君の小吉郎が下野の佐野氏の養子となって佐野城へ入ったのに従い重則も関東へ下った。慶長19年(1614年)に佐野家は改易となり、重則は鳥居忠政に仕え奥州岩城に移った。重則の長女高瀬局(久昌院)は徳川頼房の側室となり松平頼重と徳川光圀の生母となった。重則の長男重祐は初め保科正之に仕えた後に徳川頼房に仕え、頼房の子松平頼重の高松入封に従って高松に移った。その後谷家は大老や家老を務めた。
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