警察の介入と抗争終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 00:30 UTC 版)
1963年9月、堪り兼ねた広島県警察は山村辰雄、打越信夫を逮捕した。1965年6月9日、山村は引退を声明し、県警で長年のヤクザ生活から足を洗うと述べた。同年10月には二代目会長に服部武が就任。理事長には八月に出所した山田久が就いた。打越会との手打ちが成立するのは二年後の1967年8月25日である。海生逸一の斡旋によるもので、翌26日、打越信夫は弁護士と伴に広島西警察署を訪れ、打越会を解散し堅気になることを誓った。 こうして死者9人、負傷者13人、被逮捕者168人を出し、中国地方最大の抗争となった広島抗争は終結した。山口組は実害が無かった(被害は全て打越会に出た)ものの、結果的に広島進出に失敗し、進出の機会が当分閉ざされることとなった。
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