謀反の密告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:53 UTC 版)
969年(安和2年)3月25日、左馬助源満仲と前武蔵介藤原善時が中務少輔橘繁延と左兵衛大尉源連の謀反を密告した。密告の内容がどのようなもので、源高明がどう関わっていたのかは不明である。後代に成立した『源平盛衰記』には、高明が為平親王を東国に迎えて乱を起こし、帝に即けようとしていたと記されているが、史料としての価値は認められていない。右大臣師尹以下の公卿は直ちに参内して諸門を閉じて会議に入り、密告文を関白実頼に送るとともに、検非違使に命じて橘繁延と僧・蓮茂を捕らえて訊問させた。さらに検非違使源満季(満仲の弟)が前相模介藤原千晴(藤原秀郷の子)とその子久頼を一味として捕らえて禁獄した。
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