諏訪鉱業開発諏訪鉱業所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:07 UTC 版)
「北山村 (長野県)」の記事における「諏訪鉱業開発諏訪鉱業所」の解説
関東運輸による操業開始時から鉄山運営を指揮してきた日本鋼管鉱業諏訪鉱業所所長の高野太治郎は、鋼管鉱業撤退時の1948年、諏訪鉱業開発株式会社を設立し、諏訪鉱業所の施設設備を譲受して採鉱を再開した。 1950年の朝鮮戦争勃発で採鉱量が急伸し、1953年にかけて毎年年産5万t以上、月産4,500t前後の褐鉄鉱を産出し、金堀場からトラックで茅野駅に輸送し発送した。ピーク時の1951年の従業員数は約150人だった。しかし海外産鉄鉱石の供給増大で1953年以降採鉱規模を縮小し、外部資本による周辺の観光開発が本格化した1965年に操業を終了した。 諏訪鉱業開発はこのほか、岐阜県や青森県、秋田県にあった同様の低品位鉄鉱石鉱山を1950年代に譲受してそれぞれ鉱業所を設置、採鉱を行ったが、いずれも1965年までに閉山した。
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