読み語り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 06:21 UTC 版)
ここで云う「読み」は目で文字を追うことの読み、「語り」とは講談や落語のように、まるでそこに書かれたものがないかのように話していく表現の仕方を云う。だから実際にはその書かれた本を目の前に置いている。所謂朗読などの「読み聞かせ」、つまりここにおける「読み」は声に出して表現することの読みであり、声に出して読んで聞かせることであるが、自ずと表現の意識、技術も異なると説いている。又、どちらがいいか悪いかの問題ではなく、作品によって表現する側がその作品を生かせる方法を選ぶのが良いとも云う。自分主体ではなく、先ず作品ありき、そして聴き手があるからこそ成り立つものであり、聴く側が情景を自然に思い描けるように語る、ということが肝心であると説く。従って、個性は自らが主張するものではなく、聞き手が感じてくれるものである。往々にして、自ら個性と主張するのは「クセ」にすぎないことが多い。聴衆が理解しやすいかどうか、聞いていて心地良いかどうか、ということこそが大事であり、自らの語りに個性を感じてもらうのは聴衆如何、あくまでも結果であり、更に云えば本来個性は生きている限り誰もが持っているもの、という独特な理念を掲げている。
※この「読み語り」の解説は、「槇大輔」の解説の一部です。
「読み語り」を含む「槇大輔」の記事については、「槇大輔」の概要を参照ください。
- 読み語りのページへのリンク