設置されていた課程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:04 UTC 版)
「福岡県立山田高等学校」の記事における「設置されていた課程」の解説
全日制課程(1943年 - 2007年) 全日制が山田町→山田市の普通部と大隈町→嘉穂町の工業部に分かれていた1949年度(昭和24年度)から1956年度(昭和31年度)を除いては普通科のみが設置されていた。団塊世代が在学していた1960年代中期には1学年8クラス・定員430名であったが、末期は1学年2クラス・定員80名足らずの規模となっていた。ちなみに本校最後の卒業生は42名だった。 定時制課程(1944年 - 1996年) 1944年(昭和19年)開校の山田工業学校を前身とする定時制は石炭産業全盛期に採鉱科・機械科・普通科の3学科を擁し苦学生(勤労学生)の強い味方となっていたが、時代の流れには逆らえず末期には普通科だけが存在していた。尚、山田高校定時制は最後の募集となった1993年(平成5年)に僅か1名の入学者を受け入れたものの、その生徒が中退したため閉鎖が1996年(平成8年)3月に繰り上がった。ちなみに定時制最後の卒業生は4名だった。 ※便宜上、学制改革が行われた1948年度(昭和23年度)より前に関してもここでは「全日制課程」および「定時制課程」として統一した。
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