記録、相性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:37 UTC 版)
バース・掛布・岡田の3連続被弾、新庄の敬遠球サヨナラ安打(敗戦投手は河野博文)は今でも語り草の一つになっているが、実際は阪神戦にはめっぽう強く、前述のバックスクリーン3連発の次の試合から4年にかけて8連勝、1つ負けて3年にかけて7連勝、その後も8連勝、1つ負けて5連勝してるように対阪神戦38勝10敗10完封の好成績を残している。阪神以外の4球団との通算対戦成績は121勝118敗と、勝率.506でしかないが、対阪神戦での勝率は同時期に同じチームでエースとして活躍し、同じく阪神戦を得意にしてた斎藤雅樹をも上回る、勝率.792を記録(斎藤は.727)。プロ初登板での初勝利・初完封も阪神戦である上に、初安打も同試合の2打席目で記録したもので、1985年6月28日対阪神戦(甲子園)で放った球団5000号本塁打は、槙原が現役時代に唯一打った本塁打である。 現役時代に最も苦手としていた打者として、ヤクルトの古田敦也の名前を挙げている。本人曰く「ボール球も打つわ、(対策を練って)裏をかいたつもりが打たれるわで顔を見るのも嫌だった」とのこと。古田は引退後に「槙原さんは変化球を投げる際に独特の癖があり、特にフォークボールを投げる際はグローブの中でグッと握り直す癖があった」と当時の事情を明かしている。広澤克実も同様の証言をしており、「癖を見抜いても必ず打てるわけではないが対戦する側としては楽。当時ヤクルトの選手はみんな知っており、他のチームでも有名だと聞いた」と解説した。逆に中日時代の落合博満は、槙原の顔を見るのも嫌なぐらい苦手にしており、セーフティーバントを試みたこともあったという。 広島東洋カープの大野豊は、先発投手として活躍していた頃について「槙原君との投げ合いはいつも燃えた。『1点でも取られたら終わりだ』と思って投げていた」と語っている。
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