言語学的アプローチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 02:51 UTC 版)
フン族の言語については、アルタイ語系、ウラル語系、古アジア系など様々な説が提示されている。エッシェーとレベディンスキーによれば、アッティラの親族の名などで特にチュルク語族系の影響が強く見られるが、固有名詞の中には複数のイラン語群の層が存在し、まずアジアのサカから、次いでヨーロッパでサルマタイ人とアラン人といった、その時々に隣接あるいは征服した集団から取り入れた層があるという。メンヒェン=ヘルフェンは、匈奴がモンゴル語族の言語を話していたと考えられるのに対し、フン族はチュルク語族、エフタルはイラン語群の言語を話していたと主張している。また彼は他のところで、様々な「フン族」と呼ばれる集団(匈奴を除く)が皆同じ言語を話していたように考えられる中で、エフタルは「唯一の例外」であるとしている。これに対しピーター・ゴールデン(英語版) は、エフタルはもともと古モンゴル語族の言語を話していて、後に「典型的な遊牧民」として活動しつつも被支配者の定住民の影響を受けて、イラン語群の言語を受容したと主張している。エッシェーとレベディンスキーは、フン族は様々な出自の民を包含し得た遊牧民の集合体であり、テュルク系言語を話していたと考えられる支配氏族あるいはカリスマ的王家のもとで統合されることによって「民族」に変容したとしている。この集合体は他民族を征服するたびに変容し、5世紀にフンとゲルマンの貴族層が血統的に混合した最終相をみることができると述べている。キム・ヒョンジンは、E・G・プーリーブランクやA・ヴォヴィンの研究を基に、もともとエニセイ語族の言語を話していたとみられる匈奴が、西へ移動する間にチュルク語族へと切り替わったと主張している。
※この「言語学的アプローチ」の解説は、「フン族の起源」の解説の一部です。
「言語学的アプローチ」を含む「フン族の起源」の記事については、「フン族の起源」の概要を参照ください。
- 言語学的アプローチのページへのリンク