解体後から現在まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 17:27 UTC 版)
江戸幕府5代将軍・徳川綱吉により、本郷の鳥居・塔・井戸の大部分と枝郷の小塩・上黒田・黒田宮・下黒田が禁裏領に復している。以後、明治まで禁裏領と旗本の知行地などが地区内に混在する。幕末期に平安時代以来の禁裏との関係と地区全体の禁裏領復古の願いから本郷の村人が山国隊を結成し鳥取藩に属して戊辰戦争で転戦した。 しかし明治維新後は町村制により一般の自治体となり本郷と小塩が山国村に、小塩以外の枝郷が黒田村となる。第二次世界大戦後、近隣町村と共に合併し京北町となり、その後更なる合併で京都市の一部となっているが、山国神社や常照皇寺、郷内の村名も町名として残っている。また常照皇寺を除く全域が京都丹波高原国定公園の指定地域に含まれており上桂川水系の里山集落として水田、林業景観を現在に伝えている。
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