解体後12社の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 13:55 UTC 版)
中島飛行機から解体された会社は多くが現在でも存続しており、 SUBARU (旧・富士重工業)以下の会社が共同で設立し、後に合併して出来た。 東京富士産業(本社→) 富士工業(中島飛行機太田製作所と武蔵野製作所→) 富士自動車工業(中島飛行機伊勢崎製作所→) 大宮冨士工業(中島飛行機大宮製作所→) 宇都宮車両(中島飛行機宇都宮製作所→) THKリズム(中島飛行機浜松製作所→富士精密工業→プリンス自動車工業→分離独立・リズムフレンド製造→リズム自動車部品製造→リズム→THKリズム、THK子会社) 富士機械(中島飛行機前橋工場→富士機器→富士機械、富士重工子会社) 輸送機工業(中島飛行機半田製作所→愛知富士産業→輸送機工業、富士重工子会社) マキタ(中島飛行機三島製作所→富士機械工業→富士発動機→富士ロビン→マキタ沼津→) GKNドライブライントルクテクノロジー(中島飛行機栃木工場→栃木富士産業→GKNドライブライントルクテクノロジー、日産関連会社→GKN日本法人) イワフジ工業(中島飛行機黒沢尻工場→岩手富士産業→イワフジ工業、新明和工業子会社) がある。 最終的に日産自動車へ吸収された富士精密工業(中島飛行機東京工場→富士精密工業→(旧立川飛行機出身者によるプリンス自動車工業と合併)→プリンス自動車工業→吸収合併・日産自動車)は存続会社が日産自動車であるので、法律的には消滅している。 富士重工業は、1966年(昭和41年)に東邦化学株式会社と合併し、存続会社を東邦化学株式会社とした。この存続会社の東邦化学株式会社は1965年に商号を富士重工業株式会社と改めた上で合併しているため、一貫して継続した同一名称ではあるが、法律的には従来の富士重工業は1965年に一旦消滅している。これは株式額面金額変更が目的の事務的なものである。
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