角福休戦期
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三木おろし(1975) - 田中・福田・大平対三木・中曽根の構図となった。 三木内閣(1974〜1976) 田中・福田・大平 対 三木・中曽根 オイルショック後の経済収拾のために田中は福田を蔵相に起用したが、1974年7月の第10回参議院議員通常選挙での、企業ぐるみ選挙等、田中内閣の金権的体質を批判し、福田は三木武夫とともに閣僚を辞任した。同年、田中辞任を受けての椎名裁定で三木武夫が後継首相になると、福田は三木を支持し、副総理・経済企画庁長官として入閣する。しかし、1976年のロッキード事件への対応を巡って福田は三木と対立し、閣外に去り、反三木という一点で田中・福田・大平は協調するに至る。 1976年の三木退陣後には、福田と大平の「大福連合」を基軸とする福田政権が福田首相・大平幹事長体制で運営される。従来からの大平と田中の盟友関係も維持されたため、この時期は大福角の三者が主流派を形成していた。
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