覚勝院とは? わかりやすく解説

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覚勝院

読み方:カクショウイン(kakushouin)

宗派 真言宗大覚寺派

所在 京都府京都市右京区

本尊 十一面観世音菩薩

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

覚勝院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 15:19 UTC 版)

覚勝院
所在地 京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前登リ町2
宗派 真言宗大覚寺派
寺格 別格本山
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 正平年間(1346年~1370年)
別称 嵯峨聖天
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覚勝院(かくしょういん)は、京都市右京区にある真言宗大覚寺派の寺院である。大覚寺唯一の塔頭寺院で、大覚寺派の別格本山である。本尊は十一面観世音菩薩嵯峨聖天の通称で知られる。

歴史

正平年間(1346年1370年)に院家の住坊として創建された。本堂は正徳元年(1711年)に江戸幕府第6代将軍徳川家宣が寄進したもので、歓喜天(聖天様)が祀られている。

関連項目

外部リンク


覚勝院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/19 01:36 UTC 版)

覚勝院抄」の記事における「覚勝院」の解説

「覚勝院」(江戸時代中期以降文献はしばしば「覚性院」と記されていることもあるがおそらく宛字であると見られ、また「覚正院」と記されている資料もある)は、もともとは大覚寺塔頭のことであり、その主の院号のことでもある。「覚勝院」と称した人物は、室町時代から江戸時代にかけて多く資料現れていることから、おそらく一人人物ではなく何代かにわたって使用された名称であると考えられる。この『覚勝院抄』を著した「覚勝院」は、しばしば『実隆公記』に登場し三条西実隆『源氏物語』などについて議論交わしている人物であると考えられており、この時期甘露寺房長の子良助、房長の甘露寺親長の子了淳及び長深、親長の子である甘露寺元長の子時詔など甘露寺家の者が覚勝院と関わる形で僧侶となっているためこの中誰かがこの「覚勝院」ではないか考えられている。

※この「覚勝院」の解説は、「覚勝院抄」の解説の一部です。
「覚勝院」を含む「覚勝院抄」の記事については、「覚勝院抄」の概要を参照ください。

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