西洞院信堅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 20:05 UTC 版)
西洞院信堅(にしのとうしん のぶかた、文化元年(1804年)10月2日 - 明治24年(1891年))は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿。
官歴
- 文化7年(1810年):従五位下
- 文化13年(1816年):従五位上、甲斐権守
- 文政元年(1818年):正五位下
- 文政4年(1821年):従四位下
- 文政5年(1822年):侍従
- 文政7年(1824年):従四位上
- 文政9年(1826年):少納言
- 文政10年(1827年):正四位下
- 天保元年(1830年):従三位
- 天保4年(1833年):正三位
- 弘化元年(1844年):左兵衛督
- 嘉永2年(1849年):踏歌外弁
- 明治元年(1868年):参議、権中納言
系譜
- 父:西洞院信順
- 子:西洞院信愛
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
- 西洞院信堅のページへのリンク