西洋流砲術修行
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弘道(万之丞)は父により儒者(折衷学派)井上顒斎に入門させられ儒学を学び、やがて高弟となった。嘉永6年(1853年)8月、弘道(彦左衛門)20歳の時、藩命により幕臣・下曽根金三郎に入門し西洋流砲術を学んだ。同年6月のペリー提督浦賀来航から僅か2ヶ月後のことである。幕府より岡山藩に房総警備(海岸防備)の命が下り、弘道は西洋流大筒御用に任じられ、安政元年(1854年)3月、日米和親条約調印直後に上総国・竹ヶ岡台場の任務に就き、安政5年(1858年)まで務める。 その間、安政2年10月2日(1855年11月11日)に発生した安政江戸地震(安政の大地震)に遭遇、日記に詳細な記録を残している。
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