製紙会社の電気供給事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 14:56 UTC 版)
木曽発電の起源にあたる事業は、長野県西筑摩郡(現木曽郡)大桑村にあった製紙工場が1918年(大正7年)より兼営した電気供給事業である。 大桑村の須原地区にて製紙工場が操業を開始したのは1913年(大正2年)のことであった。各地で製紙業を経営した実業家大川平三郎が率いる木曽興業という会社(1908年設立)の経営によるもので、木曽地域随一の大工場であった。1920年(大正9年)には岐阜県中津川に工場を持つ同じ大川系の中央製紙に合併され、その木曽工場となっている。 工場の脇を流れる木曽川支流の伊那川(伊奈川)は急流かつ水量豊富であり動力としての利用に適することから、木曽興業では1911年(明治44年)伊那川に水車設備を整備した。「橋場水力設備」と称するもので、水車直結で製紙用の原動力として使用されたほか、工場用電灯発電用にも利用された。その後1918年(大正7年)になり、地元大桑村の強い要望によって木曽発電は村内全域を対象とする電気供給事業を兼業することとなった。逓信省の資料によると開業は同年8月19日で、伊那川を取水源とするペルトン水車と35キロワット発電機を組み合わせた発電設備を持っていた。 さらに中央製紙時代の1924年(大正13年)12月には、橋場水力設備の上流側に田光発電所が竣工した。
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