被害者の実名報道など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 05:26 UTC 版)
「名護市女子中学生拉致殺害事件」の記事における「被害者の実名報道など」の解説
『朝日新聞』 (1997) によれば、拉致事件を報道した1996年6月22日・23日は、新聞各紙(いずれも東京本社発行の最終版)は被害者Aを匿名で報道していたが、県警が公開捜査に切り替えたことを伝える同月29日付の記事で、実名報道に切り替わった。しかし、遺体発見および犯人逮捕を報じた1997年1月3日・4日の記事では、『読売新聞』『産経新聞』が「乱暴した」という犯人Yの供述とともに、Aの実名・顔写真を紙面に掲載した一方、『毎日新聞』『日本経済新聞』は「乱暴」という表現を使わず、『朝日新聞』はAを匿名にした上でYの供述を掲載した。 なお、地元紙の『沖縄タイムス』『琉球新報』の場合、前者は6月28日の速報(号外)で初めてAの実名・顔写真・所属中学校などの情報を掲載した一方、後者は6月29日の朝刊で初めてAの顔写真を掲載して以降も、匿名報道を続けていた。しかし、同年7月12日付の朝刊でAの実名を掲載して以降、Aの実名を掲載していた。その後、遺体発見を報じた際には両紙とも、Aの実名・顔写真を報じており、Uが逮捕された時点でもAは実名報道されていたが、起訴段階では『琉球新報』はAを引き続き実名で報じていた一方、『沖縄タイムス』は匿名に切り替えていた。第一審の初公判を報じた際(1997年4月24日)は、両紙ともAを匿名で報じている。
※この「被害者の実名報道など」の解説は、「名護市女子中学生拉致殺害事件」の解説の一部です。
「被害者の実名報道など」を含む「名護市女子中学生拉致殺害事件」の記事については、「名護市女子中学生拉致殺害事件」の概要を参照ください。
- 被害者の実名報道などのページへのリンク